日韓学生交流会
 
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2005年WYDレポート

2005年WYDレポート

社会福祉学科3年 渡辺 弓夫


 ワールドユースデーへ行って9ヶ月近くが立ち、あの日々の出来事を糧としつつ、新たな出会い、振れ合い、発見があった。日々の生活の中で、出会いを通し、神様は絶やさずお恵みを下さる。喜びの経験の数々、辛い時の希望と慰め、悲しみの中の、あるいは悲しみを通しての歓び。そこにおいてワールドユースデーや、そこでであった仲間兄弟たちのことを思い出し、神様の恵みと愛を感じる。深く心に染み込む。

 ワールドユースデーは、神様から恵まれた旅であった。愛について考え、日々人々と共に生き、喜びの全てを分かち合った。全てはお恵みであった。仲間の存在、出会いの嬉しさ、それら全てはワールドユースデーにあった。わたしにとってその時、出会ったルクセンブルクのホストファミリーや、友達、ボランティアたち、ケルンやデュッセルドルフであった、様々な国の巡礼の青年、ボランティアたち、皆輝いていた。一人一人が尊かった。ルクセンブルクの仲間たちにぎりぎりの時に助けてもらった時のあの感動。特に、ボランティアの方々にはお世話になった。道がわからなかった時、予定が変わったとき、ご飯がなかった時などなど。でも、考えると彼らは相当しんどい思いをしていただろう。いらだっている人に質問責めにあったり、非難されたり。彼らにも彼らの善意が裏切られたことはなかっただろうか。かれらは、人によっては、3日間かけてバスでカザフスタンから来た人たち、ポーランドからのボランティアは、人数としてとても多かった。日本巡礼団の多くの巡礼者が宿泊していたメッセでは、南ドイツからのドイツ人ボランティアと一緒に、ポーランド人ボランティアがとても多かった。中には、ドイツ語を話さない人も・・・。言葉もわからないのに、彼らは、何かをしたいがために、信仰のために、世界からやってくる巡礼者のために準備や運営に加わるために、やってきた。

 仕えあう歓び、全てを分かち合う喜び、それを体験でき、愛し合うこと、このことは、最大のお恵みといえる。仕えることは、仕えるよりもはるかに大きな恵みと喜びのうちに生きることになる。愛によって、愛し合うところに神はおられる。私たちのうちに、私たちと共に、おられる。愛のあるところに平和があり、愛のあるところに歓びがあり、愛のあるところから愛が生まれ、深まり、あいのあるところに神がおられる。仕えあうことは愛を育む。愛することは仕えさせる。愛は、相手の幸福を望み、できることを全てしたいと望ませ、愛する人のために祈らせる。愛するところに神様はおられる。

 愛するところにあるあのよろこび、神が私たちのうちにおられ、周りの隣人のうちにキリストを見出す感動、喜び・・・。言葉では言い表せない。苦しむ人のうちに見出すキリスト、自分が辛い時ほうっておかない愛に満ちたキリストを友のうちに見出す時、友と話をする事を通して、道を諭してくれるキリスト・・・。ワールドユースデーの時あの満たされた幸せは、ここにあるのではなかろうかと最近の自分の経験を通して思う。悩む時、悲しむ時、そばにいてくれる友、それはまさしく友の内にキリストガおられるのである。何も言わずそばにいるだけで、悲しみや辛さを分かち合う時、喜びと幸せを分かち合うとき、そこにキリストを見出せることに気づいた。そこにあるものはなんだろうか。神様といる歓び、愛する人といる喜び・・・愛、愛の歓びである。「慈しみと愛のあるところ、神はそこにおられる」それが実感という言葉でも表現できる。現実に神様が居られることの実感の歓びである。神様の大きさ、それは一生かけて探し、追い求めていくものであろう。

 私たちはルクセンブルクやケルンという港を経て、天国の神様の元へという船路を歩んでいる。航海の途中でつんだ誰かのためにつんだ荷物をその人に届けながら。私たちは、ワールドユースデーで、燃料を貰い、修理をしてもらい、船を改良してもらい、航海技術を教わった。国と国を結ぶ船は違う道の歩み方も紹介する。マリア様は、船路をしめす星である。道を示し、助けてくれる。「ママー!!」と呼べるお母さんだから。大いにワールドユースデーで頂いたお恵みを分かち合いたい。恐れることなく。私たちに与えられた船路を行きたい。その船路を神様は、ワールドユースデーにおいて、ワールドユースデーによって、ワールドユースデーを通してしめしてくださった。私は、神父の道を考えている。仕えあう喜びをワールドユースデーで体験し、愛し合う喜び、全ての道ガ愛に生きることであること、司祭の道に生きる喜びは、神と人に仕えること、愛、それも広く、出会うすべての人を愛することができることにあると思う。よのなかには、こどくなひと、さべつされている人、自分の存在意義を疑っている人、・・最悪なことは、愛されていないと思わなければいけない人がいることである。彼らとともに、愛の内に、キリストとともに歩むことができたならどれだけ素晴らしいだろうと思う。


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